写真展「死ンデミセマス オ母サン」
自らが自殺のシーンを演じ、それを撮影したものを展示。
僕がモデルになってこれらの写真を撮影したのは、もう数年前、僕が金沢大学の学生だった時です。僕は死にたい。けれども死ぬのは本当に怖い。どうしたらいいものだろう?取り敢えずやってみたらどないやろか?それで自殺しました。結局は直前までしか行けなかったわけですが、なんだろう、超えてはいけない線のギリギリに立って、少しは向こう側が見えたかなと。実際見えてたのかはわかりませんが、言語化しにくいけど、何かは変わった気がします。ともかく、自殺って近くにある気軽なもんなんやなと思いました。
死ぬことは、多くの人にとって恐ろしいことです。四六時中かんがえなければならないことでもないでしょう。けれど、死は必ず訪れるのも事実であり、毎日たくさんの人がごく当たり前に死んでいます。誰もの身近にある重大イベントが、死なのです。それを覆い隠してしまうことは誠実な人生態度とは言えないでしょう。死に対する向き合い方はそれぞれだけど、僕はどうせなら楽しくやりたい。自分の死でエンターテイメントをやりたいと思いました。ちょっとびっくりしちゃうかもしれないけど、おもしろかったらいいなと願っております。
生きることって素晴らしい!これって勿論そうだと思います。エネルギーを迸らせ、毎日を保っていく人間の在り方はとても美しい。けれども、死ぬことだって同じくらい素晴らしいと僕は思うのです。死んだらどうなるんだろう、死とは何なんだろうという不思議さ、人生が断絶する極端な潔さ。死というのはとても魅力的です。僕の知り合いにも、自ら死への道を選んだ人たちがいます。彼等の死を惨めなものだとは思いたくない。不本意だったかも知れないけれど、彼等は素敵に生き、死んでいったのです。
生死という言葉がありますね。今は「しょうじ」と読んでください。これは仏教で主に使われる言葉らしいのですが、この語には、生きることと死ぬことは一体だという考えが込められていると聞きました。僕らはみんな死を生きている、ということでしょうか?この展示では「死」の方に重点を置いていますが、これは僕が必死に生きた印でもあるのです。表現されたこの「死」には、躍動する「生」があるのです。
2019/7/2